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玉山(ぎょくざん、ユイシャン、ピンイン:Yù Shān、ウェード式:Yü Shan)、旧称新高山(にいたかやま)・モリソン山(Mt Morrison)は、台湾のほぼ中央部に位置する山。標高は3,952mと台湾で最も標高が高い。周囲は台湾自然生態保護区となっている。また1985年4月6日には玉山を中心とした約10万haの範囲が玉山国家公園に指定されている。 == 歴史 == 台湾原住民のツォウ族の言語では「パットンカン(pattonkan、石英のこと)」 と呼ぶ。清代初期の文書によれば「八通関山(パットンカンの音訳)」、「雪山」と呼んでいた。欧米では、商船主・モリソン(W. Morrison)が報告したことから「モリソン山」と呼ばれた。日本統治時代には明治天皇により富士山よりも高い「新しい日本最高峰」の意味で新高山と名づけられた。しかし皮肉にも台湾で最も遅くまで日本に抵抗したのは新高山の周囲に住むブヌン族の「郡蕃」と呼ばれる一群であり、新高山南面の荖濃渓上流部は1933年になってようやく日本の実質統治下に入ったが、1932年には南方の大関山駐在所が襲撃され、日本人警察官3名が殺害された(大関山事件)。1934年には東方のラクラク渓上流部で日本人警察官が殺害された(玉里事件)。また1941年にははるか南方の北糸䰗渓畔の駐在所が襲われ、日本人警察官ら3名が殺害された「内本鹿事件」が発生するなど、新高山周辺では終戦にいたるまで日本人側からは「蕃害」と呼ばれたブヌン族による抵抗運動が多発した。 富士山の標高3,776mよりも高いことから、日本の台湾領有期には日本一標高の高い山として知られ、日本の学校でも「日本一の山」として教えられていた。また1937年には新高阿里山国立公園として日本の国立公園に指定されていた。 1941年12月2日に発令された日米開戦の日時を告げる海軍の暗号電文「ニイタカヤマノボレ一二〇八」のニイタカヤマとは当山のことである。 第二次世界大戦に日本が敗戦し、台湾の領有権が中華民国に移る際に現在の名前に戻された。その後は重要な軍事拠点とされ入山には政府当局の許可が必要であった。なお民主化以降も一部の観光地を除いた地区の入山には許可が必要である。しかしこれは自然保護の観点からであり、事前に申請を行えば民主化以前に比べれば容易に入山する事ができ、観光ツアーもある。 2014年2月7日、中華民国山岳協会と日本富士山協会によって、玉山と富士山の友好山提携が締結された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「玉山 (台湾)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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